何の意味もなく行くような場所だった。
すぐ目の前の浜で友人と四股踏んで遊んだりして。
僕が物心ついた頃から既に古くさかった水族館なんだけど、大人になってから益々煤けて寂れて閑古鳥がオペラができるくらいにゆとりある空き具合で、のんびり自由に過ごせて僕は好きだった。過疎ってる場所はマイペースな僕にいつもやさしいんだもの。
かと言って僕みたいなのばかりになって皆が過疎を求めるようになったとしてもだよ、その維持は過酷だろう。僕はつまり贅沢なんだろうなあ。
土産物売場には水族館にいないイトマキエイのぬいぐるみがあったりして本当買えばよかったと今でもよく思う。ぬいぐるみを自分に買うなんて恥ずかしかったんだよ。くそう。
その土産物売場の裏口には燕の巣があった。
小さな巣に6羽の雛がみっちみちにいた。
黄色い嘴パクパク開けていて、ほわぁーって見てた自分の口も阿呆みたいに開いてたと思う。
もうあの水族館はないし、あれ以降水族館は行っていない。他の大きくて立派で人が沢山来るような綺麗な水族館は、行くのに身構えてしまう。よし…行くぞ、もう行くんだからな!って思わないと動けない。散歩のついでにふんふふーんて入れない。気が小さいのかしらね。つまり億劫なんだ。見たいけど行きたくないんだ。
ちょっと前に新しい水族館ができたそうで。
僕はマンタが好きなんだけど、新しい水族館にもいないらしい。よく見る毒のある丸いエイはいる様子。それも勿論いいけどさ、僕はイトマキエイに憧れがある。燕も好きだからかな、あのフォルムは僕にはツボなんだと思われる。
あれに乗って海を飛べたら最高の気分だろうなあ。如何にも飛んでますってような泳ぎ方なんだもの。気分いいだろうなあ。もう20年ちょっと、乗りてぇ…!と思ってる。そんな類いの夢なら自分で思ってるより多く持っているようなんだけど、多分殆ど叶う事なく死ぬだろうし、叶わなくてもいい。
謎なんだけど、叶わない故の幸福ってやつが。ちょっとその謎を考えてみる。
僕には夢がまだあるんだって事に幸福を感じる。叶うかどうかはそんなに重要ではないみたい。寧ろ叶ったらそれはひとつ夢が減る訳で、多分僕は叶った事で得られる瞬間的な幸福感より、叶わないけど長持ちする幸福感を無意識に(夢を叶える為の行動を起こさないと云う意味で)選択しているように思う。
それ以前にマンタの方だっていきなり知らない奴に乗られたかねぇだろうなぁ。仲良くなりたい。せめて乗れなくても並走(?)しても不快に思われないようなくらいになりたい。でも悲しいかな僕は肺呼吸なんだ。オカカラユビクワエテミテルヨ
夢は夢のままで。maybe.
Thank you for Aquarium MATSUSHIMA
Lands End
and
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